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 時事通信は全般的にいい記事が多かったと思う。

「月に降りた」新世代に期待=日本選手2人初完走−ツール・ド・フランス

 【パリ時事】26日に閉幕した自転車ロードレースのツール・ド・フランスで、別府史之(スキル・シマノ)と新城幸也ブイグテレコム)が日本選手として初めて完走した。「月に一歩降りたような感じ。小さな一歩なんだけど本当は大きい」と約3500キロに及ぶ長丁場をくぐり抜けた新城の笑顔がはじけた。
 1903年に始まり今年で96回目。100年以上の歴史を誇る世界最高峰のレースで、日本選手初完走という新たな歴史を刻んだ。最終第21ステージで積極的に先頭集団に食い込んだ姿勢が評価されて敢闘賞を受賞した別府は「もう最高」と感無量の面持ち。
 自転車好きの父の影響で、兄2人と小学校時代から自転車競技に出場してきた26歳。「小さいころからあこがれていた舞台ですべてを出し切った」と胸を張る。
 高校卒業後、ハンドボールから転向した24歳の新城はフランス修行で急速に開花した。「2人の活躍でツール・ド・フランスは日本でもかなり身近になった。そんなに遠い世界ではない」と関係者は新世代の台頭に期待を込めている。 (2009/07/27-09:20)

 「月に降りた」ってのはニール・アームストロングランス・アームストロングへの連想だろうか?

ツール・ド・フランス・談話

◇終わった気がしない
 新城幸也 まだ終わった気がしない。あっけなくて意外に短かった。寂しい気もする。来年も走りたいし、2度、3度と出てみたい。
◇もう最高
 別府史之 もう最高。(完走を果たし、ここは)シャンゼリゼですよ。最後の最後でアピールできた。僕が一番積極的に走りました。(時事)
(2009/07/27-01:32)

別府、新城が日本人初の完走…ツール・ド・フランス
ツール・ド・フランスを完走した別府史之(共同)

 ◆第96回ツール・ド・フランス最終ステージ(26日、モントロー−パリ・シャンゼリゼ通り=164キロ) 別府史之(スキル・シマノ)と新城幸也ブイグテレコム)が日本選手として初めて、同レースを完走した。

 26歳のアルベルト・コンタドール(スペイン)が85時間48分35秒で2年ぶり2度目の総合優勝を果たし、2位は4分11秒差で24歳のアンディ・シュレックルクセンブルク)。過去7度の総合優勝を誇るランス・アームストロング(米国)はトップと5分24秒差の3位で、別府は112位、新城は129位で初出場の大会を終えた。

 マーク・カベンディッシュ(英国)が今大会6度目のステージ優勝を遂げ、新城は20位、別府は134位だった。(共同)

 ◆アルベルト・コンタドール(スペイン) 07年にツール・ド・フランス初優勝。08年のジロ・デ・イタリアも制したが、北京五輪個人ロードタイムトライアルは4位に終わった。スプリントも山岳も強い。26歳。マドリード出身。

 新城幸也「月に一歩降りたような感じ。小さな一歩だけれど、本当は大きな一歩だ。完走が目的ではなかったが、3週間を走りきったということで、いい経験を積むことができた」

 別府史之「長いようで短い3週間だった。小さいころからあこがれていた舞台で、力をすべて出し切ることができて大変満足している。日本人の可能性を新城選手とともに見せられたことは、もう一つの成果だった」

 コンタドール「同じチームにアームストロングがいて今回は難しい大会だったが、それだけに特別な優勝だ。われわれは相いれない立場だったが、アームストロングは彼の道、わたしは自分の道を進んだ」(AP=共同)

(2009年7月27日11時14分 スポーツ報知)

 「シャンゼリゼですよ!」に込められたよろこびがわからない共同通信ってどやねん。あっ、また共同通信の記事の批判になってしもうた。

最終ステージで別府が敢闘賞=新城と日本人初の完走―ツール・ド・フランス

【パリ27日AFP=時事】26日に幕を閉じた世界最大の自転車ロードレース、ツール・ド・フランス新城幸也(Bboxブイグテレコム)と共に日本人として初の完走を果たした別府史之(スキル・シマノ、写真)は、パリ・シャンゼリゼを舞台に繰り広げられた最終第21ステージで敢闘賞を受賞する活躍を見せた。別府はレース後、AFP通信に対し、「自分にとって大きな経験になった。3週間にわたるレースが終わった今、とてもハッピーだ」と喜びを語った。
 別府はこの中で、「2005年にディスカバリー・チャンネル・チームへ移籍しプロに転向した時、耳にしたのはすべてツール・ド・フランスのことだった。だから完走はすごいことだ」と話し、「目標は常にゴールへの到達だった。ここパリで見せ場をつくり、第19ステージで7位になれたことを誇りに思う」と述べた。
 レースを振り返り、別府は「(アルプスでの)第17ステージは自分にとって一番きつかった。でも終わった直後に、OKだ、悪くなかったと考えた」と語る一方、「ツールで最高なのが観衆だった。日本のファンだけでなく、たくさんの人が自分の名前を呼んでくれる」と感想を述べた。
 今後の目標については「何人かの日本人選手のツール出場を後押ししたいし、日本でサイクリストへの関心を高めたい」と述べ、「自分は夢をかなえたが、おそらく他の選手もかなえられると思う」と語った。 〔AFP=時事〕(2009/07/27-19:46)

 ええ記事だと思ったけどAFP発なので納得。翻訳調なので、元々フランス語で書かれたものかもしれない。

別府 「日本人選手の出場意欲を高めたい」、ツール・ド・フランス

【7月27日 AFP】2009ツール・ド・フランス(2009 Tour de France)第21ステージ(モントロー・フォー・ヨンヌからパリ、164キロメートル)で敢闘賞を獲得したスキル・シマノ(Skil-Shimano)の別府史之(Fumiyuki Beppu、日本)が26日、日本人選手の同大会出場に対する意欲を高めたいと明かした。

 今大会に出場した別府とBBOXブイグ・テレコム(BBOX Bouygues Telecom)の新城幸也(Yukiya Arashiro)は、日本人選手として初めてツール・ド・フランス完走を果たした。

 別府は、レース後に「とても大きな経験でした、この3週間をやり遂げてとても満足している。2005年にディスカバリーチャンネルDiscovery Channel)で初めてプロに転向した時、耳にした話は全てツール・ド・フランスのものだったので、やり遂げられたのは大きい。完走することを常に目標としていたので、7位に入った第19ステージとここパリ(Paris)で成し得たことを誇りに思う。ツールで最高だったのは観客でした。日本のファンだけではなく、多くの観客が自分の名前を呼んでくれた。(アルプス山脈の)第17ステージは最も厳しかったが、レース後すぐに『大丈夫。そんなに悪くない』と思った」と語っている。

 今後の目標について別府は、「今は日本人選手をツールに出場しようという気にさせたい、日本でサイクリストの認識を高められたらと思う。日本では自動車の数がとても多く、サイクリストに対する敬意が払われないこともある。夢は日本でサイクリストにより安全な環境を築くことであり、他の選手を刺激すること、日本にはプロロードレース選手が多くないので。(ツールは)夢だった。自分に実現することができたので、他の人にもきっとできる」と語った。(c)AFP

 時事配信のもとになったと思われるAFP独自配信記事。AFPのサイトはスポーツのサブカテゴリーの6番めに自転車競技がある。この記事を読んだ世界中の人々は日本の現状を知り、その中でシャンゼリゼにたどり着いた2人の偉業を再認識してくれるだろう。