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朝日新聞にハビエル・オチョアの記事

自転車ロードレースの最高峰ツール・ド・フランスで、00年にステージ優勝した元プロライダーは、2度目のパラリンピックに臨む。4年前のアテネでロード総合を制した34歳は、ロードでもトラックでも金メダルを目指す。

 01年2月、スペインの道路で練習していたとき、自動車が突っ込んできた。双子の弟、リカルドは命を失った。頭と胸を強打したオチョアは意識が回復しないまま、病院のベッドで眠り続けた。

 9週間後、医師は生命維持装置を外すことを提案した。両親は拒み、治療の続行を求めた。1週間後、オチョアは目覚めた。

 脳に障害が残った。交通事故のことも、ツールでステージ優勝したこともよく思い出せない。体のバランスがうまく取れなくなり、左足に思うように力が入らなくなった。片方の肺も損傷した。医師は寝たきりか、車いすの生活を予想した。

 だが、オチョアには鮮明な記憶が一つ残っていた。

 「ツールで、たくさんの沿道のファンに応援してもらった」

 再びライダーに戻ることを決めた。ツールからパラリンピックに舞台を変え、戦い続けることを選んだ。懸命なリハビリの末、事故から21カ月後、サドルに座った。

 かつてのようにうまく話すことはできない。自転車から1人で降りるのも、乗車中に後ろを振り向くのもいまだに難しい。体の痛みも、依然として残っている。

 だが信念がある。

 「僕は弟の分も生きないといけない」(由利英明)

 栄光は覚えていなくても、応援は覚えているのかぁ。
 ロードにでも出るという石井さんと同じカテゴリーになるのかな。