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日本経済新聞の記事

 とてもいい、というか、まともな記事だった。

ツール・ド・フランス、日本勢、新たなステージへ、別府・新城、日本選手初の完走。
2009/07/28 日本経済新聞 朝刊

別府「あこがれの舞台で満足」

 26日、パリ・シャンゼリゼ通りにゴールした世界最高峰の自転車ロードレース、第96回ツール・ド・フランスで、別府史之(スキル・シマノ、26)と新城幸也(Bbox・ブイグテレコム、24)が日本選手として初めて完走した。総合順位はそれぞれ112位、129位だった。スペインのアルベルト・コンタドールが2年ぶり2度目の総合優勝。
 総距離約3500キロのサバイバルレースに生き残った156選手がシャンゼリゼ通りに姿を現すと、沿道を埋め尽くした観衆からどっと歓声が沸き上がる。いきなり別府がアタック。最後はメーン集団に吸収されたが、レースを動かした選手に贈られる敢闘賞を日本人として初受賞した。
 第3S(ステージ)で8位、第19Sで7位と、日本選手の可能性を示した別府は「小さいころからあこがれていた舞台で全力を出し切れて満足している。上り調子だったので、レースがこれで終わって残念」と振り返った。第2Sで5位となった新城は「今回、僕たちが出たことは小さな一歩だったと思うが、ひょっとしたら大きな一歩になるかもしれない」。
 両者の経歴は好対照をなす。神奈川・茅ケ崎市出身の別府は小学生のころから自転車のロードレースに参加していた。2002年にフランスのトップアマチュアチームに入り、マルセイユで修行を積んだ。のちにツール・ド・フランス7連覇をなし遂げたランス・アームストロングが所属した米国のトッププロチーム「ディスカバリーチャネル」へ。
 06年に全日本選手権で優勝したが、チームが解散したため、08年からオランダに本拠を置く「スキル・シマノ」に移った。そして今年、子供のころからのツール出場の夢をかなえた。
 沖縄・石垣島出身の新城は、中学以来ハンドボール中心の生活。高校のとき、父親の知り合いのプロロードレーサー福島晋一に才能を見いだされ、06年からプロとなった。
 07年に全日本選手権で優勝。その後、所属していた「エキップ浅田・梅丹本舗・GDR」からフランスの名門、Bbox・ブイグテレコムに移籍した。ダンケルク4日間レースなどでの活躍が認められ、ツールへ。
 106年の歴史を持つツールには1926、27年に川室競、96年に今中大介が参戦したが、完走はできなかった。新城と別府の快走は日本のロードレース界に新たな1ページを開いた。

 何がいいって、別府の戦歴にアジア選手権とかオリンピックが載っていなくって全日本が載っていること。自転車の世界に通じた人が書いたことがよくわかる。知らなかったら「アタック」なんて用語は使わんもんな。一方で、あまりよく知らない読者には「アタック」の意味がようわからんかも。