毎日新聞にツール・ド・信州
ひと:近藤淳也さん=10年を迎えたツール・ド・信州を主催
◇自分自身と競り合う、命が輝く瞬間です−−近藤淳也(こんどう・じゅんや)さん「日本にもツール・ド・フランスがほしい」。自転車屋で借りた世界最高峰レースのビデオを夢中で見た少年は、それを夢で終わらせなかった。信州の美しくも厳しい峠を舞台にしたサイクリングイベント「ツール・ド・信州」を主催し、今月11日から5日間開催された大会で10年の節目を迎えた。
全国の自転車乗り43人が疾走した。1日の走行距離は100〜120キロ、高低差3000〜4000メートル。本家「ツール」の山岳ステージに匹敵するコースは「日本で最も過酷」と評され、実業団レースの上位選手すら「えげつない」と漏らす。
小さいころから、遠くまでペダルを踏むのが好きだった。京都大サイクリング部時代は北海道から沖縄まで日本中を走り回り、山野のみずみずしさを目に焼き付けた。
「力が限界を超えて発揮される時の、命の輝きが見たい」。98年に仲間二十数人と始めた大会は、今ではスタッフを含め100人規模になった。妻令子さん(37)との手弁当運営は変わらない。社長業との両立は多忙を極めるが、「選手やスタッフみんなが、大会に未来があると感じてくれている」。夢はもう、自分だけのものではない。
閉会式。長年のライバルに初めて勝った選手の涙を見て胸が熱くなった。「一生忘れられない瞬間を作ってあげられたことが、何物にも代え難い喜び」。今年もいつもの言葉で締めくくった。
「いつか『日本のツール』と認められる大会にしたい」<文と写真・中本泰代>